【顎変形症】よし、手術をするぞ!と決断するまでの道のり

この記事は約6分で読めます。

はろはろ〜!はーちゃんです🌸

今回は自分が顎変形症という病気だと自覚した時のことや、矯正を始めようと思ったきっかけ、手術をしようと心に決めた時の思いを書いてみようと思います😊

この記事は前編で、術前矯正〜手術までの出来事は後編で書くので待っててね。

長くなるかと思いますが、どうぞお付き合いくださいませ🤲

顎変形症ってどんな病気?

顎変形症(がくへんけいしょう)とは、上あご(上顎骨)または下あご(下顎骨)あるいはその両方の大きさや形、位置などの異常によって、顔面の変形と、かみ合わせの異常を起こしている状態をいう。症状は患者によっても千差万別。顔面の変形、かみ合わせから、口腔領域機能に大きな問題があると判断された場合に手術が施される。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

普通の噛み合わせの人には想像がしにくいと思うので、本当は使うべきではないけどイメージを掴んでもらうために書くね。

顎変形症のほとんどは「シャクレ」や「出っ歯」のことを指します。
(私はシャクレの方です)

子どもの頃はそんなに目立たなかった

生まれつき反対咬合(母子手帳に書いてありました)ではあったものの、気になるほど下顎が出ていたわけではなかったし、特別コンプレックスでもなかったです。

母子手帳の「3歳児検診」の欄

反対咬合…下の歯が上の歯よりも前に出ている状態。

成長と共に顎も発達した

私は医師ではないので確実なことは言えないけど、子どもの頃からの写真を見返すと、成長するごとに顎も発達しているように見えました。

自分の顎がみんなより長いこと、下の歯が上の歯より前に出ていることが普通ではないことに気がついたのは小学校高学年あたりだったと思います。

急にいじられるようになった

同じクラスの男の子たちに心ない言葉をかけられるようになりました。
また、私がひとこと喋ると顔マネをされることもありました。

幸い私はポジティブ人間だったので「私と仲良くなるための掴みネタ」くらいにしか思っていなくて、その当時は気に病むほど気にしていなかったように思います。(傷ついていないと言ったら嘘になる)

プリクラという悪魔のツール

中学・高校ではプリクラが流行り、学校終わりにプリクラ、週末はみんなでプリクラ、学校でイベントがあった日は絶対にプリクラ…ととにかくプリクラを撮る毎日。

中学生・高校生になると周りも大人になっていくので心ない言葉をかけられたり顔マネをされることはなくなりましたが、プリクラがとにかくつらかった。撮りたくないし、見たくなかった。

卒業アルバムの写真にも私はほとんど写っていません。
カメラ拒絶症候群でした。(勝手に命名)

この頃から「歯科矯正」について考え始める。

はーちゃん、会社員になる

高校を卒業してそのまま就職をしました。

ここからがまぁ地獄でしたわ。想定外。地獄は学生時代で終わったと思ってた。
悲劇の始まりであり、手術を決意した良いきっかけでもあった時代。

突然ですがこびとづかんって知ってます?
こびとづかんの中にね、顎がなが〜いキャラがいるんですよ。
そのキャラの靴下をね、私に差し出してね、

はーちゃんに似てるからあげる❤️

って誕生日にくれた人がいたんですよ。笑顔で。信じられる?

おいシャクレ!

って呼んでくる上司がいたんですよ。ねえ考えられる?

大人よ?もう20歳超えてる。上司なんて40代よ?
それがね、1人や2人じゃないの。
5人も10人もいるの。こういう人たちが。本当に。

びっくりした(笑)
こんな大人おるんやって本気で絶望したし、こんな大人には絶対になりたくないって一瞬で反面教師に認定したよね😇

この生活が約3年続いて、この人たち私が急にいなくなったら一生苦しんでくれるんかな?って、この人たちを苦しめたい一心でいけないことを考えたりもした。

でもなんか悔しくて。悔しくて悔しくてしょうがなくて。
もう治すしかないって強く思ったのが矯正生活の全ての始まりです。

だから今では感謝してる。許さないけど。でも決意させてくれてありがとう。

歯科矯正に力を入れている歯医者さんが近所にできた

ちょうどタイミングよく、家から5分のところに矯正に特化した歯医者さんができました。
矯正さえすれば顎変形症は治ると思っていたので相談しに行きました。
そこでまた壁にぶち当たります。

あなたの場合は手術しないと治らない

え…?今なんて…?なんて言った?もっかい言って?ってリアルに言いました(笑)

私、死ぬまで手術しないって決めてたのに…!(勝手に決めるな)
手術?むりむりむり!そんなのできっこない!
だってお父さんとお母さんがくれた大事な体だもん!メスを入れるなんてダメよ…!親が悲しむじゃない…!(ピアスは開けたくせに)

って軽くパニック(笑)

先生も見かねて
今すぐ決めなくていいよ。その気になったらいつでも紹介状書くからゆっくり考えて😊
と言ってくださいました🙇‍♀️

(手術は大学病院でおこなうらしく、この歯医者さんではできないとのこと)

その時は決断できず、いそいそと家に帰ります。

薄れていた感情を思い出す

しばらく悶々とする日々が続き、会社では変わらず心ない言葉をかけられる毎日。
約3年言われ続けると慣れてしまうもので「あ〜また言ってるわ」くらいに思ってました。
なんかもう割り切って考えられるようになったし別にこのままでもいっか〜とも思いました。

しかしここで、急に薄れていた感情を思い出します。

この人たち私が急にいなくなったら一生苦しんでくれるんかな?
↑これです。(過激)

あれ?なんでこの人たちのためにこんなこと考えてたんやろ?
どうせなら死ぬ気で手術受けてみてもいいのでは?
憎き人のためじゃなくて自分のために命かけてみる?

といきなり思考が変わって、それからは家族、友達、最低限言っておかないといけない職場の上司に話をして、再び歯医者さんへ行き、紹介状ください!と元気よく言う流れになったのでした。

ちゃんちゃん。

終わりに

当時の気持ちとか実際にあった出来事を文章にまとめるのって難しいね💦
この記事は今後何回も何回も修正して、読みやすくなるように工夫します。

Twitterで顎変形症の子たちと情報交換をするためのアカウントがあるんだけど、みんな本当によく死にたい死にたいって言ってる。

手術って怖いはずなのに「早くしたい」「この顔から解放されたい」って毎日言ってる。

それはなんでか?からかう人がいるからです。

今までそんなこと知らずにいじってた!って人、今すぐ。即刻。やめてください。

次は術前矯正〜手術までの出来事を書こうと思ってます😊

それでは今回はここまで!
最後まで読んでくれてありがとう🌸

 

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